JF6DEU blog読み物
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適当な落書き1(468文字)学校にいると大抵は体育という授業がある。この授業では私たちは着替えなければならない。その場合、教室に残って着替える男子組と更衣室で着替える女子組がいる。この時、なぜ男子は教室で着替えなければいけないのか、ということについて考える。まず、男子が教室で着替えることについて私の意見を述べる。私は男子が教室で着替えることについて否定的だ。それは男子にも見られないような工夫ができるようにすべきだと思ったからだ。一般的に教室というものは簡単に内部の様子が見られるように南側しかカーテンがない。そのことが仇となり、男子は常に向かいの建物や廊下を通るその他の人に着替え姿を見られる可能性がある。これは男女差別に当たるのではないかと思う。もう少しスケールを大きくしてみると、社会的な報道がある。例えば、女子の盗撮などと言ったニュースはすぐに拡散されるが、男子の盗撮といったニュースはそもそもの話で出てこない。また、最近話題になってきた性暴力に関しても、女子の方は報道されるのに男子の方は「ある」とだけ報道されている。いったいこの違いは何なんだろうか。
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適当な落書き2本当の「死にたい」って何なんだろう、よく考える。例えば、何か恥ずかしいことがあって嘆いてる人の「死にたい」と嫌なことが続き、意気消沈して鬱病になってまで生きなければならない人の「死にたい」。そのままでは全く比べようのないという意見があるが、なぜこのように重大な言葉が軽い意味で使われるようになったのだろう。そもそも人間の体は強い。「死にたい」と思っても実際に行動に移さなければ死ぬことはできない。心がどんなに壊れても体は栄養のあるかぎり生き続ける。それに対し、体も心も健康で何の抜けもない人の「死にたい」と言うのはどんなに軽いことだろう。
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適当な落書き3世の中には16personalitiesというツールがある。これにより、自分の性格を4文字の英語で表すことができる。なぜこのようなツールが日本で売れているのか。そもそも日本という国はよくグループ化社会と言われている。つまり、社会の中でどこかのグループに属していないといけない。そんな日本の雰囲気から、若者は何かの型にはまっていないと安心していられないようになってしまった。(...ここで終わり...)
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